イタリアの旅(6)

 

 ポンタシェーベからローマへ  12/12 朝5時起床 5時半出発

何と早いのだろう。ちなみに朝食は袋に入ったパンとジュースであった。添乗員さんが、どうせコンチネンタルの食事だから変わらないよねと平然と言っていた。確かにそうだ。

 

バスでローマまで4時間かかった。ローマ市内に入ると大渋滞、とても個人的には運転したくない感じである。9時40分頃バチカン美術館の前についた。案内人の人が来て、一緒に美術館に向かって歩いていった。たいへん分かりやすい説明でよかった。このヴァチカン美術館とサン・ピエトロ寺院は、バチカン市国という世界で一番小さな国の一部ということで、私たちは2カ国に行ったことになる。

 

美術館は確か最初にどんどん登っていった。たいへん大きくりっぱな美術館で、いろいろな国の人がそれぞれ興味のある絵を真剣に見ていたことはとても印象的だった。1つ1つの絵をじっくり見たかったが、やはりそこはツアーなので早いのなんの。そして、最後の部屋に到着。そこは本当に凄かった。時間もここだけ長く与えられた。ここでは、喋ってはいけないので、少しざわつくと多分英語とイタリア語と日本語で注意があった。

 

日本語ってところがすごいよね。いかに日本人が多いか。またうるさくする人は日本人なのか。長いすも有りほとんどの人は立ってみていたのだが、天井画をずっと見ていると首が痛くなるので、いすにすわってみていたら、結構楽に見ることができたのでお勧めです。

 

絵のことは素人の私だから説明することはできないけれど、少し書きたいと思います。確かこの部屋の壁一面には私でも知っている昔からの物語を一枚の絵にしたものが、たくさんあって、(たとえば、海が二つに分かれて道ができた所の絵「聖書物の大作『十誡』」のワンシーンなど)これは多分有名な絵描きさんが、かいたものだと思うがどれをとっても大変立派なものでした。そして、正面にはミケランジェロが晩年に描いた絵であり、天井には青年時代に描かれたものがあった。比較して見てくださいと言われたが、どちらもすごいもので、やはり天才画家であることは間違い無く、すごいと思ったがそれより何より、ずっと上を向きながら、どれだけの時間を費やして描いたかよくは知らないが、この苦労は並大抵ではなかっただろうと推察できる。正面の絵を描くのを最初は断ったと聞いたが、わかる気がする。多分目にも絵の具が入ったろうし、腰だってきっと悪くなったのではと思う。人が一生でどれだけ描く事が出来るのだろか。

 

でもこうやって、後世の人たちが絶え間無く訪れて見ていく事は、天国の彼も満足なんだろうとなと思う。苦労のしがいがあるというものですね。普通の私たちは???続いて、サン・ピエトロ寺院に入った。確かにカトリック教会の総本山。すごいものである。でもこれだけすばらしい教会をたくさん見てくると、感激もやや少ないというのが、私の感想です。ただ一本一本の柱のでかさ、天井の高さ、とてつもない。

 

ここを出て広場にある噴水のところに集合。添乗員さんが記念写真を撮ってあげるといっているのに、新婚さんみんなに断られて、とても残念がっていた。ところで、もうおなかがぺこぺこだ。みんなが全員集まるのを確認して今度は円形をしたところの柱と柱の間を抜けて出たところが、イタリアのローマである。たった柱一本で国が違うなって面白い。昼食を取り(実はよく覚えていないが、デザートはテラミスかフルーツが選べた)その後にコロッセオとトレビの泉に行った。コロッセオで記念写真を撮った。こういう観光旅行ではつきものなのですが、今回はみんなと仲良くなれたので、記念にと思わず買ってしまった。18ユーロまたは2000円ということでした。古代ローマ時代の巨大闘技場の跡が(約2000年前のもの)こうやって残っているなんて何ともすごいことだ。駅がすぐ近くにあるので、個人旅行でも来やすいところである。さらにトレビの泉はにぎやかな街の中にあって、ここで早くコインを投げて、添乗員さんがおいしいといったトレビの泉のすぐそこの角の店のジェラードを買って食べた。いろいろな種類が有り過ぎてどれにしようか迷ってしまう。たしかナカタだったかな?はて。このへんメモがないのであやしい。それからか、やはり有名なものが置いてある免税店に連れて行かれた。ここで、Fendiのバックを買った。(Fendiて何?と私は思うが、きっとブランドなのですよね)

まあいいか、少しは貢献しなくては、連れてきた人に悪いもね。ホテルにいったん戻り、休憩してから、やはりバスに乗った。実はここで、バスの運転手さんが替わったのである。

前の運転手さんは、私たちと共に何日も過ごして、早く自分の家に帰りたかったようである。

添乗員さんの話によると、運転しながら携帯電話に会社から何度も仕事をやってくれといわれたのに、俺は家族と過ごすのだから嫌だと拒否していたようである。家族を大事にしているのだな。または仕事はそこそこにして早く開放されたいともとれるか。イタリア人は仕事と言う言葉はモットーに絶対にないそうである。ご苦労様でした。

 

ここでも、店の開店時間はやはりゆっくりのようです。カンツォーネを聞きながらの食事でした。飲み放題のようなので、一生懸命ワインを飲みました。向こうの方からたいへんすばらしい歌声が聞こえて来た。たいへんなボリュームである。肉声でこれだけ出せるのはさすがプロですね。こちらのテーブルにも来てくれて、拍手をしたりして楽しく過ごせた。その人たちがCDを売っていたので、一枚買い、リクエストしたのがそのCDに書かれたベサメムーチョである。

歌い手のイタリア女性が私のほうを見ながら、心をこめて情熱的に歌っているように思えた。

後で分かったことだが、この曲は「作者はメキシコの女流ピアニストで、1941年にこの曲を発表しました。甘い甘い恋いの歌です。ベサメムーチョ (もっとキスしておくれ) まるで今夜が最後であるかのように・・・・・・・・。そばにいて欲しいんだ。考えてもごらん。明日は私はここからずっと遠くにいることだろう・・・・・・・。」というものであった。知らないということは恐ろしいことで。それでもたいへん楽しく過ごせた。ホテルに戻った。  

ホテルに戻ってくると、チャコヒロさんに、「ねえそこの2階でピアノの弾き語りをやっているのでいっしょに見ましょう」と言われ上がっていくと、イタリアの男性が日本製の電子楽器を弾きながら、いろいろな歌を歌ってくれた。拍手喝さい。あまりに観客が乗っているので、その歌手もがんばって歌っていることがわかった。水を何度も飲みながら、2時間以上ぶっ続けで歌っている。

 

すごい。別の席に座っていた黒い眼鏡をかけた男性で少し気になる(別に深い意味が有るわけではないが、謎めいているような感じがしたから)新婚さんがリクエストしていた。自分もしばらくしてから、歌いたくなって、マイウェイをリクエストして歌おうとしたのだが、歌詞がわからず途中からラララと歌ってしまった。恥ずかしい。今度ここに来ることがあれば、歌詞カードを持って来たいと思います。

 

そして、ここでもより親交を深めたのである。時間もだいぶ過ぎたので、明日もここでの合言葉でお開き。今日は何とも楽しかったなあ。部屋に戻ってもしばらく余韻に浸っていた。これまで、ホテルは寝るだけのものだったから、余計そう感じたのだろうか。

 

おやすみなさい。   

 

 

続く

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