イタリアの旅(8)

 

ようやくポンペイに到着、ここの遺跡は周囲四キロ八つの出口がある。今回は海の門から入っていった。ガイドさんが足早に案内していった。たしかに2000年まえの街が、そのまま無傷で残っていたのは奇跡だろうがあまりにちゃんと残っているところは、さすがに凄い。溶岩や火山灰がいっきに積もったおかげでこんなことが起こったのだろう。壁にはギリシア神話に出てくるような絵画や彫刻(いろいろな動物が描かれている)そして、選挙運動のために自分の家の前の壁に何かを書いてある。名前なんかを書いているのだろう。

 

パン屋や洗濯屋その他娼婦の館(いずこも同じだし、いつの世も人間のしていることは変わらないし進歩もないのかな)建物は必ず2階建てでギリシアの神を祭っていたようだ。24のパン屋、24の娼婦の館があったことが分かっている。そしてアフリカから奴隷を連れてきたことも分かっている。

 

そしてお風呂があり、ここで位の高い人は、衣服を着たままミイラになっていた。着物の模様やサンダルの模様もはっきりとわかった。そして奴隷は裸のまま生活していたことやお風呂は水風呂(多分奴隷や身分の位が低い人が入っていたのか)や、お湯の風呂があった。こういうことが、こんなにはっきりわかるのは、人が生活を営んでいたそのままが一瞬にして、封じ込まれたためか、

こんなことが起こってしまった。そして空気をも遮断し、酸化や風化も多分起こらなかったんだろう。(勝手な私の想像です)また火山の爆発が、ちょうど昼時だったのだろう、

 

パン屋ではパンが墨のようになってたくさん出てきたそうである。かまども現在とほとんど変わらず、技術の高さがうかがわれた。そして洗濯屋では、いくつもの槽があり汚れを落とす槽、濯ぎの槽、最後の洗いの槽とあるように思える。それは高さをわざと変えてあり、洗濯物の移動をスムースにするために作ったと思われる。また道をみると、いろいろ分かることがある。

 

道路は多分2〜30cm四方の石畳でできているが、良く見ると馬車だと思うが、轍があり少し窪んでいる。そして馬を止めておくロープを結ぶ穴があいている。そして道は碁盤の目のようになっている。こうやって団体で歩いていると、案内人に必死に付いていく人や、ゆっくり歩いていく人さまざまあるが、良く見てみると、いっしょに食事した若い3人組の女の子たちが一番前で必死に聞いたと思うと、案内人が説明していない場所でも必死になって写真を撮り、そしてまた前へと忙しく移動していく。私たちと違って、目的を持って来ているのだなと感じた。やはり、まったく分からないで来る私たちとは本当に違うなあ。

 

最後に円形のコロシアムに来て、説明を受ける。ここもけっこうまともに残っている。ずいぶん歩き回り、だいぶ腹がへった。ようやく見学を終えてバスまで戻る。

 

バスに乗って少し登ったところにレストランがあった。ここで食事をする。

奥の方のテーブルに家内が座っており、私たちより少し上と思われる女の人も据わっていた。もう一つのバスに乗っていたグループの人である。私もすわり、何となく「どこから来たんですか」と尋ねると栃木県の宇都宮市のもう少し上の方から来たとのことです。ずっと親の面倒をみてきたため、旅行に行くことが出来なかった奥さんが、最近一周忌をを済ませて、末の娘さんといっしょにイタリアの旅に来たようです。自分たちも結婚25周年の記念旅行なんですよ。などと話をしていると愉快で、鼻歌を歌いながらやって来たウェーターが持ってきた前菜のたこサラダがとてもおいしかった。それと、スパゲッティーもとてもおいしかった。さらにシーフードのバター炒めのようなものと、最後に冷やしたみかんが出た。

 

でもよく陽気に歌いながら持ってくるものだ。やはりイタリアという感じである。どれもたいへんおいしくて、このイタリアの旅だんだんおいしい店で食べれるようになったな、などと思ってしまう。みんなも同感のようである。天気も恵まれ、ここまで移動の時を除いてほとんど雨にも降られず、ラッキーな旅行である。(きっと普段の行いが良いからだとか、晴れ男晴れ女などみんな自分勝手に思っている)

食に満足してさあ出発。あっそうだ、忘れていた。カメオの工場に行ったことを思い出した。

 

ここではやはり貝の上に彫るところを見学し、その後ブローチを見た。何か記念品を家内にプレゼントするために、二人で見てやっと決めた。私がそれほど小使いを持っていないこと知っている家内はそれほど高くないものを選んだ。それでも、若い女の子から冷やかされてしまった。恥ずかしいね。

 

午後2時50分頃ナポリに向かう。ナポリ市街地を通り、かの有名な場所(ナポリを見て死ねと言われるほどすばらしい三大美港)をみた。たしかにすばらしいが、混んでいるからという理由で、止まってくれなかったのが、とても残念である。他の人たちもどうしてと、不満を漏らしている。ここをゆっくりと走り抜けて、高速に乗りローマに向かう。もう少しナポリにいて、歩いてみたかったんだがな。

 

ところで、高速道路を走っていると(どこを走っていたときか忘れてしまったが)山の上のところに都市がたくさんある。ここにもあすこにも。不思議な光景だが、これにも理由があるようだ。(ラピュタに出てくるような城壁のイメージ)周りが城壁のようで敵に攻めてこられないようになっているが、何故こんな不便な高いところに造ったんだろう。(後から知ることだが、民族によってこういう習慣があるようだ)

ガイドさんによると、マラリアが流行って、死ぬ理由がわからなかったのだか、なぜか沼地のような低いところで発生することをみんなが感じていて、高いところに住めば安全であることを肌で感じていたのである。人間の知恵とはたいしたもんである。そして水はどうしたのかというと、何百メートルという深い井戸を掘ったのである。

 

途中トイレ休憩で、AUTO GRILLによった。日本のサービスエリアと同じようなものである。何故はじめから、こういうところに止めてくれなかったんだろうという疑問はみんなしていたと思う。なかは大変きれいなトイレがありファーストフードの店とスーパーのようなものがあり、値段もリーザナブルであった。そしてあとは一路ローマへと向かった。

 

そういえばガイドさんが言っていた事を思い出したのだか、イタリア人は膀胱がたいへん大きく、トイレに行く回数が日本人に較べて少ないようである。そこで、トイレがあまり必要無いようで、少ないのかなあ。それともうひとつ、ナポリへ来てわかったことだが、小便用のトイレの高さが徐々に低くなっているようで、私としては大いに助かった。日本のような形なら別に問題無いのになあと思うのだが。

 

 

続く

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